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首里城の火災、中国でもトップニュースに。その訳とは

10月31日未明、世界文化遺産にも指定されている沖縄のシンボル、首里城が正殿から出火し、同日午前11時ごろようやく鎮火されました。この首里城の火災ですが、中国の国営メディア、人民日報に加え、台湾、香港の大手メディアなどでも大きく報じられ、中華圏全体で大きな関心を集めています。
 
沖縄に観光に行ったことがある方はご存知かもしれませんが、沖縄には世界各国から多くの人々が観光に訪れています。昨年2018年には国内外合わせて約1000万人(外国人は300万人)の観光客が訪れましたが、外国人だけに着目すると台湾が最も多く92万人。中国本土からの観光客も70万人と中華圏からの観光客が突出して多いことが分かります。
 
というのも、中華圏には沖縄に対して特別な思いを抱いている人が非常に多いのです。1429年に始まった琉球王国は1872年、琉球処分によって琉球藩となり、1879年には沖縄県となりました。そして沖縄が琉球だった時代、明王朝だった中国は室町時代の日本と同様、沖縄とも交易を行うなど密接な関係を築いていました。その後琉球と中国の交易は、清王朝に至るまで約500年続けられます。
 
そんな沖縄に中華圏の人々が親しみを感じる理由の一つに“文化の類似性”が挙げられるでしょう。今から約600年前の明王朝時代、社会の混乱から多くの中国人が東南アジアなどに移民として移り住んだと言われています。特に沿岸部だった福建や広東からは多くの中国人が海を渡りました。
 
当時、明王朝と貿易関係にあった琉球にも現在の福建省から多くの中国人が移民としてやってきたことが分かっています。沖縄県の資料によると、今から600年、現在の那覇市の久米には福建省の福州地域から多くの移民が移り住みました。那覇市が1992年、久米に開園した福州園という庭園は、福建から移り住んだ人々が建造したであろう中国式庭園や家屋を再現しています。こうした福州園の他、今回炎上してしまった首里城もその建造技術や風水の考え方が中国から強い影響を受けています。
 
《福州園》
 
中華圏から多くの人々が沖縄にやってくる理由には、古来から中国と密接な関係を築いてきた沖縄に強い関心があることが大きいのです。前沖縄県知事の仲井眞氏も、その祖先は福建からの移民だったことはご存知の方も多いと思います。
 
古来から数百年もの交流の歴史があった沖縄と中国。今回の首里城の火災に心を痛めている中国人が多いのは、こうした長い深い交流の歴史があるからこそなのです。世界中から悲しみの声が寄せられる中、再建に向けた募金活動などが世界中で広がりつつあります。