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深セン誕生40周年、香港を手に入れ香港を失った中国

皆さんは深センという中国の都市をご存知でしょうか?中国のシリコンバレーとして知られ、テンセントやファーウェイなど世界の名だたる大企業が多く本社を構える国際経済都市です。経済特区として開発が開始されてから本日で40周年を迎えました。



 
現在では世界屈指のスマートシティとしてられる深センですが、鄧小平によって経済特区に指定され、開発が行われたのはわずか40年前の1980年のことでした。経済特区に指定された当初、深センは人口わずか3万人の小さな貧しい漁村でした。
 
当時の中国は毛沢東によって提唱された文化大革命大躍進政策の影響で、国内経済はもちろん国民も疲弊した状態でした。鄧小平は国内経済の起爆剤として、中国国内に複数の経済特区を開発することを決め、国際金融都市として君臨していた香港との結びつきを強化するため、香港から近い深セン、珠海、汕頭が経済特区に指定されたのです。







 
税制面での優遇措置を導入し、特に外資系企業に対しては、輸出入関税の免除措置を行うなど、外国企業の誘致にも力を入れ、その結果、深センには国内外から多くの企業が集まり、工場なども多く建設されるようになりました。深センに多くの企業や工場が集まったことで、労働力として多くの人々が流入することになったのです。その結果、深センは40年を経て域内GDPが43兆円、人口2000万人への大都市へと変貌を遂げたのです。GDPは40年間で1万倍という恐るべき成長率です。
 
現在、深センには1万7000以上のテクノロジー企業が運営されており、世界のドローンの7割がこの深センで誕生しています。また世界屈指の5G都市として、すでに4万5000もの5G基地局の設置が完了しています。
 
40年間成長を続けてきた深センですが、今後の将来には不安も残しています。深センが大きな成長を遂げた大きな要因の一つに香港の存在がありました。アメリカは1992年から香港との間に「米国香港政策法」を結び、関税率などの優遇措置を導入してきました。中国はこの優遇措置を利用し、多くの製品を香港経由で輸出してきました。
 
深センの成長の裏には地理的にも近い香港の影響が大きかったのです。香港の存在が深センを国際都市に成長させたのです。しかし、アメリカは香港の民主化運動を力でねじ伏せた中国に対抗するため、香港との間で行ってきたこうした優遇措置の撤廃を決めたのです。香港を完全に掌握した中国ですが、ある意味では香港を失ったとも言えるでしょう。こうした情勢の中、深センが成長を続けていけるのか、今まさに真価が問われることになるでしょう。